人々をアッラーの許に呼び、善行をなし、「本当に私は、ムスリムです」と言う者ほど美しい言葉を語る者があろうか。 (41-33)

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クルアーン読誦(第78~114章)と日本語意訳

クルアーン読誦(第1章)と日本語意訳

クルアーンより

信仰する者よ、あなたがた以前の者に定められたようにあなたがたに斎戒が定められた。恐らくあなたがたは主を畏れるであろう。(クルアーン,2-183)

ハディースより

イマーム・アルブハーリーが教友アブドッラー・ブン・アッバース(アッラーのご満悦あれ) によるハディースとして伝えるには、預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)は次のように言われたという。
「もし私がウンマの中から一人友を選ぶなら、アブー・バクルを選んだでしょう。でも彼はむしろ私の兄弟であり、同志です。」

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『ラマダーン-絶好のビジネス』 プリント メール
2009/08/20 Thursday 10:37:49 JST

アムル・ハーリドの『ラマダーン-絶好のビジネス』

ラマダーンをどのように迎えるか

硬貨の両面

 スィヤーム(断食斎戒)は、ヒジュラ後2年目に義務として定められた。つまり、預言者さま(祝福と平安あれ)はそれ以来9年間ラマダーンに断食斎戒したわけである。またスィヤームは、ジハード(聖戦)が定められたのと同じ年に定められた。両者の間にはほぼひと月しかなく、スィヤームは陰暦8月のシャアバーン月に、ジハードは陰暦9月のラマダーン月に定められたのである。(ラマダーン17日には、バドルの戦いが起こった)


深い関係

スィ ヤームから、我々は「ジハードゥ=ン=ナフス(自我との闘い)」を学ぶ。だからこそその後に敵とのジハードが来るのである。自らに打ち勝てる者にとって は、敵に打ち勝つことなど容易く、自分との闘いにてこずる者は、自分以外に打ち勝つことなどできはしない。事実それゆえに、イスラーム史上の大戦勝利は、 ラマダーン月にもたらされている。マッカ開城や、カーディスィーヤの戦い、ロードス島の征服、ニハーヴァンドの戦い等すべてがラマダーン月に起こったので ある。
 つまり、「ジハードゥ=ン=ナフス(自我との闘い)」こそが敵との戦いにおいて勝利をもたらす鍵となったのであり、もし今日のムスリムたちがあるべきかたちできちんとスィヤームをこなしたなら、現状は変わり、ウンマ(信仰共同体)も復興を見るであろう。


絶対と選択の間にあるサウム(断食斎戒)

  イスラーム史上、スィヤームは二通りの段階を経て定められた。ひとつは、任意で望む者だけが断食斎戒をするといったかたちである。夜日没後に一度床につい てからは、翌日の日没まで日中の飲食はもちろんのこと、夜間の食事も夫婦間の契りも許されないといったかたちでの断食斎戒であった。その後、任意のスィ ヤームから絶対・義務のスィヤームへと移行したわけだが、1年にラマダーンのひと月限られた時間だけを断食斎戒すればよく、夜間は夫婦間の契りも許されるこちらの義務のスィヤームのほうが、実はより簡単で易しいものである。
軽減と慈悲

  至高のアッラーが断食斎戒の規定を軽減するきっかけとされた出来事には、次のようなものがある。ある日教友ウマル・ブン・アル=ハッターブさまが、日没後 に帰宅されたときのこと。すでに寝ていた妻を起こした彼は、彼女に自分の必要を満たして欲しいとお願いした。「私はもう寝ていたのですから、近づかないで 下さい」と拒もうとする彼女を、「いや、君は寝てなんかなかったよ」と言いくるめて押し倒し、結局夫婦の契りを結んだウマルさまは、翌朝になって預言者さ まにアッラーの赦しを乞うてくれるようお願いするのであった。
  もうひとつは、日暮れとともに畑仕事から疲れて帰宅したある教友の話。「早く何か食わせてくれ」との夫の頼みに、妻はいそいそと食事の準備をするが、食事 の用意をして戻ると、夫はすでにあまりの疲労で眠りこけていたのであった。やむなく翌朝目が覚めてからも彼はものを口にしないまま断食斎戒を続けなければ いけないこととなり、遂には、疲れきって倒れてしまった。そこで至高のアッラーの御言葉が啓示されたわけである。
『汝 らには断食斎戒の夜、妻と交わることが許された。彼女らは汝らの衣であり、汝らは彼女らの衣である。アッラーは汝らが自らを欺いているのを知っておられ、 不憫に思われて、汝らを許された。だから彼女らと交わり、アッラーが汝らのために定められたところに従いなさい。また白糸と黒糸の見分けられる黎明になる まで、食べ、かつ飲みなさい。』(2:187
 もちろん、アッラーのお慈悲は、こうした出来事が起こる前から常にしもべたちに注がれていた。ただただムスリム自らが、アッラーのお慈悲の大きさを痛感しやすいように、段階を経た啓示があるのである。もともとは150回の礼拝が義務付けられていたところを、捧げる回数は5回でもその報奨は50回分の礼拝に等しいものとされたこともまたしかり。アッラーの定めは、そのすべてが慈悲であり、常にムスリムにとってためになることが考慮され、難しいことを容易くしてくれるものなのである。


スィヤームの効果

 果たして至高のアッラーがしもべたちにスィヤームを義務付けたのは、飢えと乾きを味わわせるためだけだろうか。至高のアッラーはこう仰せられている。
『汝ら信仰する者たちよ、汝ら以前の者たちに定められたように、汝らにも断食斎戒が定められた。きっと汝らは主を畏れて自ら身を守ろうとする者となるであろう。』(2:183
  したがってラマダーンに断食をしながら、タクワー(主を畏れ、自ら身を守ろうとする気持ち)が高まらなかった人は、本当のスィヤームをしなかったというこ とになる。「タクワー」とは、ラマダーンの後にアッラーが命じられたことの実践に自らを忙しくし、禁じられたことから自らを遠ざけて、アッラーの懲罰から 身を守ろうとすることである。

 つまり、他の定時礼拝と同じように、ファジュルの礼拝にも集団で捧げること。
 道端では視線を下げること。
 親孝行すること。
 貧しい人や困っている人に嫌がらせをしないこと。
 退廃した場所や度を越した娯楽施設に身を置かないこと。
 女性は髪の毛を露わにしないこと。
  要するに、ラマダーンが終わってからもアッラーの命じられるようにあろうとせず、禁じられるところから遠ざかろうとしない人は、本当のサウムを捧げてはい なかったということであり、ラマダーン中にはヒジャーブを着けていても、ラマダーンが終わったらヒジャーブを脱いでしまう女性のサウムは、本物ではなかっ たということである。

 タクワー向上の目安は、崇拝行為の中でそれまでよりも良くなったという違いを見出すことや、アッラーとの関係において自分の状態が改善されることである。またそうしたときにこそ、私たちはスィヤームの効果が確かにあったことを確認するのである。


アッラーからは必ず

  『きっと汝らは主を畏れて自ら身を守ろうとする者となるであろう。』というアッラーの御言葉に、私たちは安心感を得ることができる。それは至高のアッラー からの『きっと』が、確実に達成される願いだからである。ムスリムはスィヤームを通してその実りであるタクワーを収穫することができるだろう。同時にま た、ムスリムはスィヤームとともに善行への動機が高まるのを見出し、悪行への動機が弱まるのを見出すであろう。それらすべてが、夜明け前のファジュルから 日没のマグリブまでの間、飲み食いを断って、欲望を抑えたおかげなのである。
スィヤームとともに変わる四つのもの

肉体の精神支配が弱まる

  人間は皆、土からできた身体がアッラーの息吹からなる魂を包むかたちで存在している。天使は光だけ、ジン(妖霊)は火からだけでできているが、人間は土か らできた身体とアッラーよりの魂とが混ぜ合わさった被造物なのである。至高のアッラーは次のように仰せられている。『 』(ヒジュル章29節)
  人間の半分は大地から、そしてもう半分は至高の天からなっており、魂も身体の助けなくしては自らの主のもとへ昇ってゆくことはできず、それぞれが、自らの 根源へと引き戻ろうとする。身体の命は、食べ物や飲み物といったすべて地上からいずるものにより、魂の命は、様々な崇拝行為や忠誠行為によるのである。


治療法を間違えたはず

  悩み事や心の病の原因は、魂の栄養をないがしろにして、身体の栄養ばかりに関心を持つことにある。何かが足りないという不満足感、焦燥感に襲われ、それま で以上に美味しいものを飲み食いしたり、趣味に時間を費やしたりして心の平安を得ようとするが、心の空虚さは増すばかり、といった経験はないだろうか。無 理もない。治療法を間違えたのがその理由である。治療法とすべきは、礼拝に立ったり、サダカ(施し)をしたり、クルアーンを読んだり等によって魂の主に近 づくこと、魂に薬を与えることだったのである。
 身体の必要性や衝動は、魂にとっての足かせにも例えられる。つまりサウムの役割は、人を空腹と乾き、欲望から遠ざけることによって、魂をその足かせから救うことにあるのである。


欲望にしつけを与える

  心理学者が言うには、人間の行動を左右する最大の動機となるのは「性欲」である。まさに「サウム」は飲食を控えることでその性欲を弱める効果をもたらす。 だからこそ預言者さま(祝福と平安あれ)は結婚できない若者たちにサウムを勧めたのである。飲食を絶つことで性欲を弱めることは、サウムの目的である「タ クワー(アッラーを恐れ、自らの身を守ろうとする気持ち)」を達成する助けとなるのだ。


努力
善い人たちと共にいること

  身体の足かせから人を放ち、性欲を弱めるサウムは、同時に対照的な二つの効果をもたらしてくれる。ひとつは、努力することであり、目の前の食べ物や飲み物 があっても日没までは一分前といえども一切それに手をつけないでいることは、一種の自己鍛錬であり、努力であると同時に、タクワーの一形態である。
  もうひとつは、善良で敬虔な人たちを好むようになることであり、夜ラマダーン期間中のみの特別な礼拝「タラーウィーフ」に参加することで、自然と毎日敬虔 なムスリムたちと共にいる時間ができ、やがては「タクワー」向上の助けとなる善良かつ敬虔な人たちのことが好きになってゆくのである。
 さあ、今から一緒に、預言者さま(祝福と平安あれ)が教えてくださるラマダーンの徳と忠誠行為への報奨、そしてラマダーンの日々に行う善行の徳を実感してみよう。

    計算なしの報奨

  教友サルマーン・アル=ファーリスィー(アッラーのご満悦あれ)によると、「シャアバーン月の最後の日に、アッラーの御使いさま(祝福と平安あれ)は次の ようにお話くださった。『皆さん、祝福された偉大な月がやってきます。その月には、千夜よりも徳高い一夜があります。(つまり、その夜にする善行は、84年 分の善行よりも徳高いということ)アッラーはその月の日中に断食斎戒することを義務づけられました。その月の夜間、礼拝に立つことは自発的な行為とされま した。その月に数ある善行のひとつをしてアッラーに近づこうとする者は、ほかの月に義務を捧げたのと同じとみなされます。またその月に義務を捧げる者は、 ほかの月に70も の義務を捧げたのと同じとみなされます。それは忍耐の月です。そして忍耐の報奨は、天国です。そしてそれは平等の月でもあります。その月においては、信徒 の糧は増えるばかりです。その月に斎戒者の斎戒を、食事を施すことによって解く者は、罪の赦しを得るだけでなく、地獄の炎から解き放たれ、斎戒者の報奨を 減らすことなく同じだけの報奨を得られるでしょう。』するとサハーバが言った。「アッラーの御使いさま、我々皆が斎戒者に施しの食事を与えられるわけでは ありません。」そこで預言者さま(祝福と平安あれ)が答えて言われた。『アッラーはこうした報奨を、なつめやし一粒、あるいは水一杯、あるいはチーズ一欠 けらで斎戒者の斎戒を解く者にお与えくださるのです。その月の前半は慈悲であり、中半は赦し、後半は地獄の炎からの解放です。』」(バイハキー出典)


気持ちを改めよう

 預言者さま(祝福と平安あれ)は言われている。
『皆 さんのもとに祝福の月、ラマダーン月がやってまいりました。その月にはアッラーが皆さんを覆い包んでくださり、皆さんが善行に競い合うのをご覧になって、 天使たちを前に皆さんを誇りに思ってくださるでしょう。ですから皆さん方のよいところをアッラーに見せてやってください。まことに不幸な者とは、至高の アッラーのお慈悲を禁じられた者のことをいうのです。』(バイハキー出典)
 地獄の業火からの解放や、罪の赦し、そして忠誠行為への慈悲が、アッラーに少しでもよいところをお見せしようという気にさせてはくれないだろうか。

    本物のサウムをした人たち

 預言者さま(祝福と平安あれ)は次のように言われている。
『ジャ ンナ(天国)には、ライヤーンという門があります。審判の日にそこからは、断食斎戒者たちが入ってゆくのです。別の人たちはその門からは入ってゆけませ ん。「斎戒者たちはどこか」という声が響き渡り、斎戒者たちはそこから入ってゆきますが、中でも最後の斎戒者が入った後はその門は閉ざされ、それ以上誰も 入ることはできないのです。』(ブハーリー出典)

 ハディースをよく考えてみよう。
  預言者さま(祝福と平安あれ)が言われたのは、「門が天国にある」つまり、天国の中にあるということであって、「天国にとっては、ある門がある」とは言わ れていない。門の名前「ライヤーン」もまた入門者たちの行いに相応しいものといえよう。なぜなら彼らはラマダーンの日中、渇きと飢えの状態にあったからで ある。とはいえ、ムスリムであれば誰もがラマダーン中は断食斎戒をするのに、なぜ「斎戒者たちはどこか?」と呼ばれるのだろうか。それは彼らが本物の斎戒 をした者たちだからであり、ラマダーンに相応しい気遣いと行いを果たしたからである。
  それから、もともと天国の民は食べ物や飲み物などを楽しんでいるはずである。ならばなぜその門は「ライヤーン(渇きを癒すもの)」と呼ばれるのだろうか。 それはその門に入ることで、ラマダーン中自らに禁じた様々な欲求や欲望すべてが癒されるからであり、そこから得られるものは魂と肉体両方にとっての「癒 し」となるからである。


彼らが禁じられたのはなぜか?

  食べ物や飲み物は断ったとはいえ、女性に声をかけたり、テレビの前で長時間過ごしたりすることをやめなかった人が、そのライヤーンの門から天国入りするこ とができると思うだろうか。あるいは飲み食いはしなかったものの、歌や踊り、化粧や人前でお洒落に着飾ることをやめなかった人が、そのライヤーンの門から 天国入りすることができると思うだろうか。こういった人たちまでが、本物の斎戒をし、斎戒の礼儀に気をつけることを怠らなかった人たちと一緒にライヤーン の門から天国入りできると思うだろうか。
そこの住人の一人となろう

 預言者さま(祝福と平安あれ)は次のように言われている。
『ジャ ンナはラマダーン月のために着飾ろうとします。ラマダーン月になると、ジャンナはこう言うのです。「アッラーよ、この月にはどうかわたしのためにあなたの しもべたちの一部を住人としてお与え下さい。」それから天国の美女はこう言います。「アッラーよ、この月にはどうかわたしたちのために夫をお与えくださ い。」ですからラマダーンに自らを守った人、酔うものを飲まず、信徒を中傷せず、間違いを犯さなかった人には、アッラーが毎晩天国の美女たちの一人と夫婦 にしてくださり、金と銀、そしてルビーでできた城を天国に築いてくださるでしょう。もしその城の中にこの世のすべてが集められたとしても、ヤギ小屋ほどに しかならないのです。』(タバラーニーの出典)


ハッジの代わり
 預言者さま(祝福と平安あれ)は次のようにも言われている。
『信じながら、報奨を期待しながらラマダーンを断食斎戒しきった人は、それまでの罪を許してもらえるでしょう。』(ブハーリー出典)

 またこうも言われている。
『信じながら、報奨を期待しながらラマダーン中(義務に加えて夜間)礼拝に立つ人は、それまでの罪を許してもらえるでしょう。』(ブハーリー出典)

  つまり、ひと月すべてをあるべきかたちで断食斎戒できる人は、ぜひそうすべきであり、そうすればアッラーがすべての罪を許してくださるということである。 それができない人は、アッラーの御許における報奨を期待しながら礼拝に励むことで許しがあり、それもできない人は、ライラトゥ=ル=カドルに礼拝するだけ でもいいのである。つまりラマダーンの最後の10日間にライラトゥ=ル=カドルを探し求めながら礼拝に立つことで、アッラーのお許しが得られるのである。

    ラマダーンのほかにはない

 預言者さま(祝福と平安あれ)は次のようにも言われている。
『一日五回の礼拝(はその礼拝ごとに)とジュムアの礼拝からジュムアの礼拝、そしてラマダーンからラマダーンまでは、その間の罪を贖ってくれるものとなります。』(ティルミズィー出典)訳注新たな礼拝は数時間分の罪の贖いとなり、新たにジュムアの礼拝に参列することは、1週間分の罪の贖いとなり、新たにラマダーンのサウムを全うすることは、1年分の罪の贖いとなるということ。
 つまり一日の礼拝で贖える罪もあれば、ジュムアの礼拝が必要な罪もあり、ラマダーンのほかには贖えない罪もあるということである。だからこそ預言者さま(祝福と平安あれ)は、シャアバーン月にこんな風に祈られていた。
『アッラーよ、ラジャブ月とシャアバーン月において私たちを祝福してください。そしてどうか私たちにラマダーンをもたらしてください。』(タバラーニー出典)
 ラマダーン月をもたらすというかたちでしか、預言者さまが長生きを祈られたことはなかったのである。
 また彼(祝福と平安あれ)はこうも言われている。
『スィヤームとクルアーンは、審判の日にしもべの執り成し役となってくれます。
 スィヤームはこう言うのです。「主よ、ワタシは彼から飲み食いを禁じました。」
 そしてクルアーンはこう言うのです。「主よ、ワタシは彼から夜の睡眠を禁じました。」              するとアッラーが言われます。「取り成すがよい。」と。』(アフマド出典)


報奨を保証するものの数々

 預言者さま(祝福と平安あれ)は、次のようにも言われている。
『ラマダーンが来ると、天国の門の数々が開かれ、地獄の門の数々は閉ざされます。そしてシャヤーティーン(悪魔たち)は足かせをつけられるのです。』
(ブハーリーとムスリム出典)
  つまり悪魔たちは、人間が善行に励みやすいように身動きできなくされるということである。だからもし無意味に夜更かしをしたり、罪を犯したり、遊びほうけ てしまうような場合は、シャイターン(悪魔)のせいではなく、自分自身に原因があるといえよう。威厳に満ちた主は、しもべたちがラマダーンで得られる報奨 を確実なものとできるように保証してくださっている。
 ジャンナ(天国)の門の数々が開かれ、ラマダーンの民の中でそこを住まいとするに相応しい者たちのためにジャンナが用意される一方で、ジャハンナム(地獄)の門の数々は閉ざされ、しもべたちに慈悲の数々が広がってゆく。そしてしもべたちを誘惑できないように、悪魔たちは足かせをつけられて身動きできなくされるのである。

    地獄からの解放を与える御方は、贈りものを取り戻そうとはしない

 預言者さま(祝福と平安あれ)はこうも言われている。
『ラ マダーンが来ると、声高に呼びかける者が現れます。「善行を求める者よ、おいでなさい!悪行を求める者よ、小さくなりなさい(恐れ畏まりなさい)!」と。 ラマダーンにはアッラーに地獄の炎から解放してもらえる者たちがいます。しかもそれは毎晩の話なのです。』(ティルミズィー出典)
  これほどすごいチャンスはない。至高のアッラーが地獄の炎からの解放をあるしもべのために一度お定めになるということは、もう二度と地獄行きを定められた りはしないということである。そしてそのしもべは善行のみを捧げられるようになり、幸せな最期を迎えるまでずっとアッラーに近づき続けることができるよう になるのである。


主の御恵み

 さらに預言者さま(祝福と平安あれ)はこうも言われている。
『サーイム(断食斎戒をする人)には、そのサウムを解くときに払い返されることのない祈りがあります。』(イブヌ・マージャ出典訳注つまりイフタール時のドゥアーは叶えられる、ということ)
 そしてこうも言われている。
『ラマダーンになって罪を許されない人は、屈辱を受けるでしょう。』(ティルミズィー出典)
 祈りが聞き遂げられるサウム中に祈らなくて、いつ祈るというのだろうか。
 数々の慈悲と業火からの解放の月に罪を許されなくて、いつ罪を許され、地獄の業火から解放されるというのだろうか。
 預言者さま(祝福と平安あれ)が威厳に満ちた主の御言葉として言われる言葉(ハディース・クドゥスィー)に耳を傾けてみよう。
「『人 のあらゆる行いは人自らのためにある。サウムをのぞいては。サウムはわれのためにあり、われが報奨を与えよう。』だから誰であれ、サウムをしながら下品な ことをしたり、叫び声を上げたり、愚かなことをしたりしてはなりません。たとえもし誰かが悪口を浴びせたり、争いをけしかけようとしたりしても、「わたし はサーイムです。わたしはサーイムです。」と言って相手にしてはならないのです。
  ムハンマドの自我を手中にする御方に誓って、サーイムの口臭は、アッラーの御許では麝香の芳香よりもかぐわしく、サーイムには二つの喜びがあります。イフ タール時の喜びと、主とお会いするときの喜びです。(食事という恵みを享受する喜びと、サウムという善行を全うしたことでアッラーのご満悦と報奨を頂戴す る喜び)」(ブハーリー出典)

様々なスィヤームのかたち

普通の人のスィヤーム

 それは食欲と性欲を抑えるだけのスィヤームである。義務を全うしたとは見なされるが、いくつもある前述の報奨を手にすることはできない。
『ひょっとすると、サーイムの中には飢えと乾きしか得られない人もいるでしょう。』(イブヌ・マージャ出典)と預言者さま(祝福と平安あれ)も言われた通りである。
 それは「タクワー(アッラーを畏れて自ら身を守ろうとする気持ち)」を達成できなかったからであり、預言者さま(祝福と平安あれ)もこうはっきりと言われている。
『嘘偽りを語り、悪しき行いをやめない人もいますが、食べ物や飲み物を断つことがアッラーに必要とされているわけではありません。』(ブハーリー出典)
 そう、つまり威厳に満ちた主は飲食を断ちながらも、自分で言うにしろ、聞き耳を立てるにしろ、見物するにしろ、嘘偽りを捨て置かない人のサウムを気にかけたりはしないのである。


特別な人のスィヤーム

 それは食欲と性欲を抑えるのに加えて、身体全体の欲を抑えるスィヤームである。つまり目は禁じられたものを見ることなく、耳は悪しきものを聞くことなく、舌は下品なことを語らず、手は暴力をふるうことなく、足は禁じられところへ赴くことなく、ムスリマであれば髪を覆うなどといった状態である。こうしたサウムを実行する人は、その徹底さに応じて前述の報奨を得るであろう。


特別な人の中でもさらに特別な人のスィヤーム

  それは食欲と性欲、身体全体の欲を抑えるのに加えて、心を律するスィヤームである。つまり、心はアッラー以外のものにとらわれず、アッラー以外のものに気 をとられることがないという状態である。こうしたサウムができた人たちこそ、サウムによる最高の位を得て、地獄の業火からその身を解放されるのだ。それは 彼らが、ラマダーン月の間ずっとアッラーにサジダ(平伏跪拝)し続けた心の持ち主だからにほかならない。
 
 ムスリム全員に忠告しよう。自分がラマダーン中に成し遂げたい目標を定め、それをきちんと書き留めることを。目標達成のために必要な手段と方法も書き添えておくといいだろう。要は毎日その紙を見て、アッラーと自分の関係を常に見直すことが大切なのだ。

ラマダーン・プログラム

あなたとサラー(礼拝)

 預言者さま(祝福と平安あれ)は言われている。
『マスジドに行き来する人には、アッラーがジャンナにおいて行き来するたびに特別な場所を用意してくださるでしょう。』(イブヌ・ヒッバーン出典)

 目標は、ひと月の間できるだけ毎日5回の礼拝をマスジドで集団にて、しかも最前列で捧げること。女性であれば、毎回礼拝の入り時刻になってすぐ(アザーンのあとで)捧げること。
 スンナとして伝わる任意の自発的な礼拝(ナワーフィル)は、一日に12ラクアある。
12ラクア礼拝を捧げた人は、ジャンナにお城を築いてもらえるでしょう。』(ムスリム出典)と、ハディースにもある通りである。

 ファジュルの前に2ラクア。
 ズフルの前に2ラクアとズフルの後に4ラクア、あるいは逆(前に4で後に2)。
 マグリブの後に2ラクア。
 イシャーの後に2ラクア。
 特にラマダーンには、毎日少なくともこれだけのナフルの礼拝をきちんと守りたいものである。


あなたとクルアーン

 例えば私はラマダーン月にクルアーンを二回完誦するという目標を立てよう。一回は最初の20日間の間に。もう一回は、最後の10日間の間に。それができなくても、少なくとも一回は完誦したいものである。

 クルアーンの一文字は、10のハサナ(善行)と数えられる。だから、『ビスミッラーヒ=ッ=ラフマーニ=ッ=ラヒーム(慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において)』と読み上げたら、全部で19文字あるから、少なくとも190の善行を得られるのである。クルアーンの1ジュズゥ(一部)は、7000文字。つまり少なくとも7万の善行を得られるというわけである。しかもこんなのは30分で済むこと。クルアーンを一度完誦したら、その報奨は少なくとも490万の善行分あり、二回完誦したら、その報奨は少なくとも3億の善行分あることとなる。それもハサナ(善行)は10倍だけでなく、700倍にも、それ以上にもなり得るのだ。
『アッラーはお望みの者に倍増してくださる。アッラーはその御恵み広大にして、すべてを知る御方。』(第2バカラ章261節)


あなたとサダカ

 教友アブドゥッラー・ブン・アッバース(アッラーのご満悦あれ)はこう言っている。
「アッラーの御使いさま(祝福と平安あれ)は誰よりも寛大な御方だったが、ジブリールがクルアーンの復習にやって来るラマダーンのときはまた格別に寛大であった。その寛大さは、恵みをもたらすそよ風よりも大きかった。」(ブハーリー出典)

  「ジュード(寛大さ)」は「カラム(優しさ)」よりも一段上の美徳であり、御使いさま(祝福と平安あれ)は寛大な人たちの中でも最も寛大だったのである。 それから教友アブドゥッラー・ブン・アッバースが寛大さと共にクルアーンの勉強に言及したことは、最も深く人間の心に豊かさを植え付けるのは聖クルアーン なのだということを教えてくれる。それもそのはず、クルアーンこそが満ち足りた御方アッラーと人間との間を最も深くつなぐものだからである。
  それから預言者さま(祝福と平安あれ)が大天使ジブリールと共に学びの機会を持たれたということは、敬虔で正しい人を愛し、彼らと共にいることがどれほど ためになるかということを教えてくれる。敬虔な人を愛してそのそばにいることは、自分の信仰を守り、善行を重ね、報奨を得て、正しく導かれるためには大切 なことなのである。
 また、イブヌ・アッバースが預言者さまの寛大さの例えとした「風」は、その速さと強さ、やむことなき継続性、誰か特別な人だけに恵みをもたらすといった差別なしに、すべての人を包み込む普遍性を表している。預言者さまのサダカは、まさにそんなふうであったいや、それよりもさらに素晴らしく、関係の近い人にもそうでない人にも、貧しい人にもそうでない人にも、すべての人に与えるのが彼のサダカだったのである。

 ムスリム諸君!君たちも毎日できるだけ止めることなく少しでもサダカをし続けることで、恵み多きそよ風のようになれるのだ。


サダカはラマダーンを60日にしてくれる
 ムスリムの兄弟、ムスリマの姉妹よ、1年にラマダーンのサウムを2回、いや10回 したいとは思わないだろうか。難しいことではない。毎日サーイム一人に、あるいはそれ以上にたとえナツメヤシの実であれ、何かイフタール(断食斎戒を解く 食べ物や飲み物)を提供したらいいのだ。だからマグリブの礼拝をしにマスジドへ行くときは、ナツメヤシを持ってゆき、礼拝する人たちに配るといいだろう。 サーイムの断食斎戒を解く人には、そのサーイムの報奨が(サーイム自身の報奨を減らすことなく)あり、地獄の業火からの救済があるのである。女性であれ ば、例えば自分の家族や夫の家族のためにイフタールを用意することで、同じような報奨を得られるだろう。

  他にもムスリム男性であれば、サムナ(ギー)や砂糖など、イフタールに欠かせないものを袋に小分けして、貧しい人たちに配ることもできるはずだ。あるいは 一度に全部してしまおうと思ったら、マグリブのときにナツメヤシの実を礼拝者に配って、できるだけのものを貧しい人にも配り、家族や親戚をイフタールに招 待したらいいだろう。こうすることで、ひと月のラマダーンをあたかも1年もの実り豊かな時とすることができる。いや、アッラーの御心に適いさえすれば、何倍にも倍増してもらえるだろう。アッラーはその御恵み広大にして、すべてを知る御方なのだ。


あなたとタラーウィーフ

  『信じながら、報奨を期待しながらラマダーン中(義務に加えて夜間)礼拝に立つ人は、それまでの罪を許してもらえるでしょう。』(ブハーリー出典)という 預言者さま(祝福と平安あれ)がお教えくださった好機を実現するために、タラーウィーフの礼拝でクルアーンを完誦するイマームの後ろに参列することで、ク ルアーン完誦を目指したい。もちろんこれは、個人でのクルアーン完誦とは別に、である。女性は色々と忙しいかもしれないが、できるだけマスジドに行ってク ルアーンや勉強会の授業に耳を傾け、マスジドの中に漂うサーイムたちの精神性を感じ、敬虔な女性たちと知り合うようにしたいものである。


あなたと親族付きあい

 親戚付き合いを断つことは、赦しの到来を遅らせ、慈悲を遮断してしまう。親戚付き合いを持つとは、連絡をくれる親戚との付き合いを深めるのに限られたことではなく、あくまでも自分との付き合いを断った人たちにアプローチすることが優先されるべきなのである。

 預言者さま(祝福と平安あれ)もこう言われている。
『つなぐ人とは、相手からのアプローチに応じる人のことをいうのではなく、親戚付き合いから離れて行った人をつなぐ人のことを言うのです。』(ブハーリー出典)
 
 できればラマダーン最初の10日に、訪問や手紙、電話や様子伺いなどを通してできるだけ親戚一同とつながりを持つようにすることで、お慈悲の降臨を願いたい。ラマダーンは初旬が慈悲であり、家族や親戚とのつながりを大切にすることは、アッラーのお慈悲をもたらすきっかけとなるからである。


あなたとダアワ(宣教)

  まずは私たち全員が自分の家族から始めよう。父と母、兄弟姉妹に、本やカセットを薦めてみたり、よい言葉、よい模範、贈り物を与えたりすることで、自分の 家庭から始めよう。それから自分自身のために目標を立ててみよう。ラマダーン月が終わるころには、誰かの導きのきっかけとなっていたい、という目標を立て るのである。

 アッラーの御使いさま(祝福と平安あれ)は、次のように言われた。
『アッラーがあなたを誰かの導きのきっかけとしてくださることは、赤ラクダ(今で言う最高級車)を得るよりも素晴らしいのです。』(ブハーリー出典)

 それからこのラマダーン月に忘れてはならないのが、パレスチナやイラク、その他の地域で不義不正と戦う同胞たちのために祈ることである。たとえものの二分であれ、毎日イフタールの前に祈ることが大切だ。

 さあ、私たち全員がこうした六つの項目達成とジハード戦士たちへの祈りをラマダーン月の目標の一つとしよう。必要なのは、誠実な気持ちと強い意志、そしてアッラーへの希望だ。すべての根底にある基本目標は、アッラーの赦しと業火からの救済なのである。 P.521

 
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